韓国百済王朝
七賢山七長寺の国宝石仏
右のお坊さんは日本で修行したそうで、日本語ぺらぺら。戦前の教育を受けた人には日本語をしゃべる人は多いがこのお坊さんは戦後派。書道ではその道の権威だそうだ。
扶余は6世紀に百済が最後に都を遷し、ここで120年あまり栄えた後滅亡した。
滅亡のとき官女達が崖の上から身を投げたという。その有様が花が散るようだったというので突き出た大きな岩を落花岩と呼ばれている。 
扶余の近く安城というところ。
左側のおばさん、韓国の失われた伝統の味噌を復活させ事業化した人。
美味しい味噌定食をご馳走してくれた。おみやげに味噌を買ってきたが非常にうまかった。戦前朝鮮で育った人に食べてもらったら、これこそ朝鮮の味だといっていた。最近では韓国の国会議員が買い付けに来るとか。

2001年4月短期間ではあったが韓国訪問。シルクロードへ行った時道ずれになった韓国の新聞記者が百済王朝の古都を案内してくれた。昔日本は百済と同盟関係にあり百済が新羅に攻め滅ぼされた時、大勢の百済人が日本へ逃れてきた。我々日本人には百済の血が流れているのだろう。人と共に多くの文化も持ち込まれたに違いない。

落花岩の上には皐欄寺(コランサ)というお寺があり名水が湧き、壁には百済の全盛期から滅亡までの絵が描かれている。
我々を見ると僧が出てきて笛を吹いて聞かせてくれた。
扶余にある定林寺跡。百済時代のお寺の跡で、五層の塔だけが残っている。あまり立派なものではないが数少ない当時のものとして国宝に指定されている。
アジア