シリア

2006年4月シリアを訪れた。シリアといえば永い永い伝統がり、またアラビアのロレンスの活躍舞台。我々訪問者にとってありがたいのはなんと言っても物価が安い。世界の女性たちのあこがれのアレッポのオリーブ石鹸は200gの大きな塊が1.5ドル。安いのは1ドルから。洗髪、洗顔、全身何でもOK。実に使い心地がよく気持ちがいい。沢山買いたいが地球重力は世界共通、無理できない。

さらに奥の室内に入ると物凄く広い。黒いマントのようなものを着た人がうようよと薄気味悪い。

中に入ったが何のことはない、棺が二つ置いてあるだけだ。十字軍から何かを奪い返した英雄の墓だそうだ。

サラディーン廟というのがあった。小さなモスクのようなところだが、入るには女性は全て工事現場の雨合羽のようなものを着せられる。オウム真理教を連想する。

天気もいいのでさぞ暑かろうと想像する。男に産んでくれた母に感謝。

パウロは元々キリスト教徒を迫害する役目でダマスカスへやってきた。途中落馬してそのはずみで目が見えなくなった。そのことを知ったキリストはアナニアという弟子をダマスカスへ行かせた。アナニアとパウロはダマスカスで会って、アナニアの祈りにより、パウロの目から鱗が落ちて、目出度くパウロの目は見えるようになった。
これがきっかけでパウロはキリスト教へ改宗した。これを知ったローマ側はパウロを迫害しようとするがこの門の上にある小さな小窓から籠にぶら下がって脱出に成功した。という話しが言葉の通じない我々にもわかるように絵物語にして壁に貼ってある。

後から調べたら新約聖書の使途言行録とは若干違うようだが概ねストーリーは同じだ。 恥ずかしながら「目から鱗・・」は日本の諺だと思っていた無知な筆者には正に目から鱗・・・だった。

ダマスカス

ヨハネの首塚という建物の中の建物がある。イスラムのモスクに何故キリスト教の聖者ヨハネの首があるのか不明。ヨハネの墓はトルコのエフェスにもあった。
ガイドに聞いたら本当はここには何も入っていないだろうとのこと。

ただ棺を見るだけで女性たちは合羽を着せられたのか。
そうではなく隣にあるモスクもやはりこれを着ていかねばならないのだ。

街は喧騒ながらこんなのどかな姿も。馬車の小父さんは誰にでも愛嬌を振りまいている。馬は伝統のアラブ種、なかなか立派だ。

市内にはヘッドスカーフをかぶる女性が多い。イスラム教徒が95%の国だから当然と思ったが、よく見るとかぶらない女性も多く、またカラフルなおしゃれな布をかぶる女性がほとんどだが、時々真っ黒なマントをかぶった魔法使いのおばあさんのような集団に出会う。近くで見るとおばあさんではなく、若く物凄く大きな目とまつ毛を持った超美人が多い。顔が美人だとつい全身のプロポーションを想像してしまうが、それはわからない。こんな不埒な男がいるから体を隠すのか。聞くとこれらの集団はイラクからの巡礼客だそうだ。イスラムで第四の聖地があるのだ。

集団の前方には一人の男が大声で早口で何やら騒がしくしゃべっている。説教師なのか。この男が泣くとみんなが泣く。この男が怒るとみんなが怒る。恐ろしい洗脳集団だ。宗教とはこんなものか。イスラム革命の恐ろしさが窺がえる。

大広間の中に手すりで囲った待合所のようなところがあった。ここには黒マントをはじめ巡礼者とおぼしき集団がぎっしり入っていた。

黒ばかりではなく、白や模様入りなどいろいろなマントがあるが、黒い集団は殆んどイランからの巡礼者だそうだ。

入るとまず青天井の四角い大きな広場がある。床はピカピカに磨いた大理石を敷き詰めてある。ここでは靴は脱がされた。

お隣のモスクはウマイヤドモスクといって、現存する最古のモスクだそうだ。もともとアラム人の神殿だったものを4世紀ごろ教会となりさらに715年に改装してモスクとしたものだ。イスラム教第四の聖地とされている。

ダマスカスは城郭都市で、いくつかの門があるが、その一つに聖パウロ門というのがある。現在は改装され小さな教会になっている。ここの逸話で目から鱗が落ちた。

目から鱗が落ちる話